バクティヨガについて語った1時間と私自身の大きな気づき

バクティヨガについて語った1時間と私自身の大きな気づき

「バガヴァッド・ギーターをのんびり読むクラス」始まりました。

このクラスでは、実際にクラスが始まってからその日のテーマを決めます。

バガヴァッド・ギーターのクラスと銘打っていますが、あらすじを読むのとはニュアンスが違います。

ランダムに選んだ一節からその意味するところを読み解いていく内容。また、関連するサンスクリット語について学びます。

実際に第一回目のクラスを開催してみて、初回のテーマは「バクティ」でした。

どのようにしてテーマを決めるのかは、今のところは伏せさせてください。実際にクラスに来てくれた方へのお楽しみです。

バガヴァッド・ギーターでは、第12章にバクティについて詳しく記されています。

バクティとは「献身、信愛」

例えば、神を思いながらマントラ瞑想をする。キールタンで神を呼ぶ。

これらもバクティヨガと言えます。

また、祭壇を作って祈る。日本のお祭りもバクティと言えるかもしれません。もちろんインドや各国のお祭りもそうですが。

本物のバクタ(バクティヨガの実践者)たちは、見返りを求めずにただ献身します。信じて、愛するのです。

宗教観の薄い私たち日本人には少し馴染みにくいのが実際のところ。(ヨガと宗教は、関係ないわけではないけれど、別物です。)

バガヴァッド・ギーター 今日学んだ節はこちら

 

常に足ることを知って心豊かに

自制して断固たる決意のもとに

心と知性(ブッディ)を『わたし』にゆだねる者

このような人を『わたし』は愛する

(バガヴァッド・ギーター  第12章14節)

 

友も敵も等しく扱い 名誉不名誉に関心なく

寒暑 苦楽 また賞賛 非難に心動かさず

常に無益な交際をせず 無益な口をきかず

何事にも満足し 住所住居に執着なく

断固たる決心で心を『わたし』に結びつけ

信愛行(バクティヨーガ)にはげむ人を『わたし』は愛する

(バガヴァッド・ギーター 第12章18-19節)

TAO LAB BOOKS 田中 嫺玉先生の訳本を参考にしています

 

ここで言う『わたし』とは、<クリシュナ | ヴィシュヌの化身、バガヴァーン(全知全能者)、イーシュヴァラ(全体世界)>のこと。

世界(宇宙、神)に愛される人は、世界(宇宙、神)にゆだねる人だと説いています。

誰に対しても平等に、何があっても心動かず、無執着。

どんなときでも世界(宇宙、神)にゆだねること。

あえてバクティの”効果”を挙げるとしたら、エゴが消え去ること。

ゆだねるというプラクティスは実は困難なもの。マントラや祭壇などの対象がある方がやりやすい。

その実践を重ねていくことで、自身のなかでゆだねる感覚が成長していきます。

それと同時に、執着心がなくなってくるため、エゴも消えていくのです。


今日、私自身のプライベートで、大変大きな気づきがありました。

ざっくり言うと、甘えがたたっていつの間にか自分本位になっていたことに気付いたのでした。

すべて自分が正しいのだと思い込み、相手を自分のペースに巻き込もうとしていたのです。

まさしくエゴイスティック・・・!

私はいつも、グルジに、バクティの感覚を育てるようにと言われています。それはつまり、エゴが大きいということですね^^;

今朝のギーターのクラスでバクティについて話してきた後だったので、すごくタイムリーな気づき。

人は皆、その人の道を歩んで生きています。どんなに親密な間柄であっても、それを邪魔してはいけません。ただ見守ることしかできないのですね。

カルマヨガの話にも繋がってきそうですが、それはまたの機会とします(^^)

次回の「バガヴァッド・ギーターをのんびり読むクラス」

4/14(日) 9:30~10:30

富士市厚原482-13 | フジヤマ道場にて

受講費用 / 2,000円またはSATYAのヨガチケット1回分

お申し込みは以下よりお願いします。

●3/21(木・祝)春分の太陽礼拝集中クラス〜アライメントと哲学〜

●3/24(日)チャクラハタヨガとヨガニドラ@自由が丘、東京

●3/31(日)パワンムクタアサナ集中クラス

●4/7(日)シャットカルマ<ヨガの身体デトックス | クリヤヨガ>実践ワークショップ

 

<ヨガクラスご予約およびスケジュールのご確認はこちらからも可能です>

クービック予約システムから予約する

<LINE@でヨガやクレイセラピーの関連情報・クラスやセールのお知らせ・先行ご予約などお届けしています>

友だち追加

ヨガ哲学カテゴリの最新記事