世界を忘れて自分を体験するという感覚

世界を忘れて自分を体験するという感覚

8/31のA-sha瞑想会以来、過去の自分と向き合う機会が増えている。

昨日の会話の中でも、自分自身のいろんなことを思い出していた。

私は元々明るい性格だと思われがちだけど、思い返してみると昔(わからないけど20代前半くらいまでとか、もしかすると数年前まで?少しずつ変わってきているのでわからない。あくまでも当社比ですよ)は根暗でした。笑

多分表面的には明るい方。だけど内側では悶々と悩んでいたし、自分に対する自信なんて皆無だった。

忘れてたけど。笑

自信に関しては今もまだまだ足りてない、自分的に50点くらい。それでも、なんとなく思い出せる過去の私は10点とか?だと思うのでだいぶ成長している。

でも、自分に自信がないことなんて、普段は忘れてる。そのスイッチをオンにする必要性はないから。

不安に関しても同じ。昨日聞かれた。「不安になることって、ある?」と。

そりゃ不安だってある、誰でもあると思うけど、そこにチャンネルを合わせていないのかもしれない。普段は忘れてる。

「忘れる」という感覚。ヨガや瞑想をしていて、この「忘れる」感覚が身についてきたんだと、今更気づいた。

幸せ、喜び、悲しみ、怒り、安心、不安、恐れ、楽しい、etc.

それらを体験して、忘れる。

いろんな経験して、忘れる。

経験は経験に過ぎない、それは私ではないから、忘れてから、私という存在に戻る。

そんなことを毎日コツコツと積み重ねている、それが私のヨガの練習なのである。

グルに教えてもらったこと。私が「マヤ(幻想・世界)」について質問した時に、「マヤは真実以外のすべてだよ、もうマヤに頭を入れないで、真実について学んで。その道を進んで。」と言われた。


少しずつ内面が変化して、成長して、もちろんいろんな経験もしてきて、気が付いたらここにいた。

こんなことに気がついたのが、実は最近のことで。っていうか昨日の会話の中で、認識したのかな。

何が言いたいかというと、私はヨガを始めて15年以上が経過している。まぁまぁ長い方になってきた。ヨガを実践していれば、必ず進化成長するけど、それがすごく自然でゆっくりだったりすることがある。気付くのに10年とかかかったり、さらに時が経てばまた新たな成長があったりすると思う。だから、私ももちろんそうだし、みなさんには永くヨガを続けて欲しいな。できたら死ぬまでずっと。(シニアヨガについて最近思ったこともあります、また書きます)

ヨガの良さは継続してこそ現れてきます。

ヨガ教室に通うだけじゃなく、セルフプラクティスは絶対に必要です。

これに関しては。身体のエクササイズとして行う分には、怪我さえ気をつければヨガ教室だけでもいいかもしれない。

だけど、内面的成長や真実を見極めていく潜在能力を発揮するには、必ずセルフプラクティスが必要。

というわけで、先日も書いた通り、セルフプラクティスのクラスも準備中です。

月曜か木曜の午後かな。


9/22(日)秋分の特別クラス〜太陽礼拝のアライメントと哲学〜

ヨガや太陽礼拝が初めての方から熟練の方まで、お待ちしています

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